教会の鐘の音が、高らかに鳴り響いた。
ウェンディ・ミゼリアはその音を教会の一室で聞いていた。
彼女は、いつもの短衣(チュニック)、スカート姿ではなく、淡い青を基調
にしたドレスを身にまとっていた。かなり着飾っていると言えるが、それも当
然だろう。彼女は、今日、新婦としてこの部屋にいるのだから……。
結婚相手は異世界からきた若者。名を光司という。
ウェンディは二年前、この若者と旅に出た。彼が元いた世界に戻るために必
要な「魔宝」という宝を集めるために、だ。
だが、彼らは目的を達し得なかった。五つある魔宝のうち三つまでしか集め
られなかったのだ。光司は「半分は集めたワケだし大丈夫」と思っていたのだ
が、それが大間違いであった。結局、光司はこの世界に居残り、元の世界に戻
る代わりにウェンディと共に過ごすようになった。恋人として……。
そして、恋人としてつきあい始めて一年たった今、二人は普通の恋仲から、
一生を共に過ごす「夫婦」になろうとしていた。
「よし、これで終わり!」
自分の手についた糸くずを叩き落とすと、カレン・レカキスは大きくのびを
した。彼女は、ウェンディのベールの最後の仕上げをしていたのだ。花嫁用の
ブーケを作っていたティナもその手を止めた。
「ブーケも仕上がりましたよ。はい」
そう言って白い花をメインに束ねられたブーケを手渡そうとした。が、ウェ
ンディは、ぼんやりと外の景色をながめていて、しばらくティナの声に反応し
なかった。
仕方がないので、ティナは側に寄って、彼女にしては大きめの声で呼びかけた。
「ウェンディさん?」
「えっ!?あっ、はい、何ですか?」
ティナの動きに、全く気づいていなかったのだろう。ウェンディは一瞬体を
硬直させ、そしてあわてて振り返った。
その大げさな反応に、声をかけたティナも驚いた。思わず、目がまん丸くな
る。それでも、律儀にブーケを手渡した。
「ブーケが出来ましたよ」
「あ、ありがとうございます」
ウェンディはそう言って受け取った。その時だけは笑顔を見せたのだが、す
ぐに物憂げな表情になってしまう。 その表情がとても気になるティナは、思
い切って聞いてみた。
「あの…ウェンディさん、どうかなさったんですか?」
「え?」
「なんだか、悩んでらっしゃるようなので……」
「そ、そんなこと、ないです……」
とっさにウェンディは答えたが、その声は弱々しく、それが彼女の内心をは
っきりと示していた。そして、そんな彼女を、世話好きのカレンが放っておく
はずもなかった。
「ウェンディちゃん、嘘ついちゃダメよ」
「嘘なんて……」
そう言ったものの、真っ直ぐなカレンの視線に耐えられず、ウェンディは視
線を窓の外に向けた。
だが、カレンはそれを許さない。ウェンディの顔を両手で固定すると、再び
正面から見つめた。
「心配事があるのなら、お姉さんに話してごらんなさい」
ウェンディは困って視線をティナに向けたが、ティナもまた心配そうな表情
でウェンディを見つめていた。
「あの、話していただけませんか?」
ここまで言われると、ウェンディも黙り続けることは出来ない。ポツリ、と
いう感じで呟いた。
「その……不安なんです……」
「不安?光司クンと結婚するのが?」
「いえ、そうじゃないんです……」
「じゃあ、何が不安なんです?」
「えっと、その……何て言ったらいいのかな……今が幸 せすぎて、怖いんで
す……」
「え……?」
「幸せすぎて、ってどうことかな?」
カレンが小首をかしげた。彼女には、いまいちピンとこない発言であった。
ウェンディもどう説明したらいいか困っているようであった。
「その、光司さんと会ってから今までのこと全部が私の 夢なんじゃないかっ
て、そんな感じがして……」
「う〜ん……」
カレンは人差し指を頬にあて、考え込んでしまった。
結婚寸前の男女が悩むのは珍しくない。カレンも何度か見たこともある。だ
が、ウェンディの悩みは、この手の悩みとしては珍しい種類である。
平たく言ってしまうと、ウェンディの悩みは、貧乏人が唐突に大金を手に入
れて「持ってていいんだろか?」と不安がるのと、ほとんど同じである。
だからカレンにはとっさに理解できないのも無理はないのだ。彼女は、やっ
て来た幸運を素直に喜べるタイプなのだから。
すっかり考え込んでしまったカレンに代わって、ティナが相談相手になった。
「でももし、今が夢の出来事だとしたら、私もカレンさんも、ウェンディさん
と同じ夢を見ている事になりますよ。それってなんだか、変だと思いません
か?」
「それは、そうかも知れませんが……」
ウェンディの、自信なさげな声を打ち消すように、カレンが指を鳴らした。
「そうだ!ウェンディちゃん、お姉さんがほっぺたつねったげる。これなら夢
かどうか分かるでしょ」
「えっ!?いっ、いいです、そんなこと!!」
カレンの手つきを見て、ウェンディは慌てて後ずさった。と、ちょうどその
時、ノックの音と明るい声が三人の耳に入った。
「あの〜、準備まだ終わらないんでしょうか?光司さん、すっかり待ちくたび
れてるんですけど」
「あっ、メイちゃん?ちょっと入ってきてくれない?」
カレンの返事に応えて、控え室の戸が少し開いた。その隙間から、眼鏡とソ
バージュヘアが特徴的なメイヤー・ステイシアが顔を出した。
「一体何があったんです?」
「ちょっとウェンディちゃんが悩み始めちゃったのよ」
「ウェンディがどうしたって?」
ひょっこり、という感じで、こちらは花婿用の正装を身にまとった光司が顔
を出した。
「入っちゃダメっ!!」
叫ぶやいなやカレンは側にあったクッションを投げつけた。そのクッション
は、直線的な軌跡を描いて見事に光司の顔を直撃した。
「なぜ……」
しごくもっともな疑問を光司が口にすると、すかさずカレンが言い返した。
「まだ用意の出来ていない花嫁をノコノコ覗きにくるんじゃないの!」
「へっ?まだなの?」
光司はクッションを顔に当てたまま(妙な所で律儀なヤツ……)、そう言った。
「とにかく、すぐに用意しちゃうから、外で待ってなさい!分かった、光司ク
ン!?」
「へ〜い」
しつこくクッションを顔に当てたまま、光司は気の抜けた返事をして顔を引
っ込めた。
「あ、メイちゃん。光司クン見張っておいてね」
「分かりました」
「俺、そんなに信用無い?」
思わずいじける光司であった。
数分後……。
「光司さん、入ってもいいですよ」
戸を開けたティナが、声をかけた。その声に、光司は大きく息を吐き出した。
「やれやれ、やっとか……ねぇ、ティナ。一体何があったの?」
「えっと、それは…ウェンディさんから直接聞いた方が いいと思います」
「?」
光司とメイヤーは何となく、顔を見合わせた。だが、当然ながら互いの顔に、
解答を見いだすことは出来ないのであった。
光司は軽く肩をすくめると、ティナに続いて控え室に入った。その控え室で、
彼の目に真っ先に入ったのは、当然ながらドレス姿のウェンディであった。
「ウ、ウェンディ……」
光司は思わず絶句した。最初は、何か気のきいた誉め言葉の一つでも言おう
と思っていたのだが、そんな考えは実際にドレス姿を見てしまうとあっさり吹
き飛んでしまった。彼はただただウェンディをじっと見つめるだけであった。
「あ、あの…何か変ですか…?」
恥ずかしそうにまたいくらか不安げに、ウェンディはブーケで顔の下半分を
隠して上目遣いに光司を見つめてきた。その視線と、やはり不安げな声に光司
は我に返った。彼はちよっと慌てて早口に答えた。
「い、いや、そんなことはないよ、ウェンディ。その、とてもかわいいし…き
れいだよ…」
「よかった……」
そう言ったものの、ウェンディは未だ不安げであった。その様子に、光司は
小首をかしげた。
「どうしたの?何か落ち着かないみたいだけど」
「え、えっと……」
ウェンディはますます顔をブーケにうずめて、口ごもった。そんな彼女を見
かねてカレンが軽く背中を叩いた。それでウェンディも意を決したらしい。勢
い良く顔を上げて、まっすぐに尋ねた。
「あ、あの、光司さん。光司さんは不安になったりしませんか?」
「不安って?」
「その、今の生活が、全部夢なんじゃないかって……」
「なるよ」
「えっ?」
「そりゃあ、不安になることだってあるさ。鉄骨の下敷きになって、気づいた
ら異世界に飛ばされていました、なんて誰が信じるんだい?普通なら悪い夢
だと思うさ」
光司は、あっけらかんとした口調でそう言ったが、急に口調も表情も真面目
なものに切り替わった。
「でもね、俺はこの二年間、何度も死ぬような目にも遭ってきた。嬉しい事も
驚く事もね。夢なら、一度でもそんなことを味わっただけでさめてしまうん
じゃないかな?」
「……」
「だから、さすがに夢じゃないかと不安にならなくなったけどね」
「でも……」
ウェンディは泣きそうなくらい不安げな表情で訴えた。
「でも、私は不安なんです。光司さんと過ごしたこの二年間が、本当は夢なん
じゃないかって……目がさめたら、また元の、信じられる人がいない生活に
戻るんじゃないかって……」
「戻るんじゃないかって考えると、怖い?」
「はい……」
ウェンディは小さく頷いた。そんな彼女に、光司は、暖かさを感じる優しい
微笑みを浮かべて見せた。
「ウェンディ、ちょっと目を閉じてごらん」
「え?あ、はい」
ウェンディは言われるままに目を閉じた。光司は、ウェンディが気づかない
ようそっと近付くと、彼女の額に手を当てて、顔を上げさせた。何をされるの
かと緊張しているウェンディの表情を見て、軽い苦笑をもらすと、光司はゆっ
くりと彼女の唇に自分のそれを重ね合わせた。
「!!」
ウェンディは驚いて目を開けた。が、すぐ目の前の光司から感じた優しさを
信じて、再び目を閉じた。目を閉じると、よりはっきりと感じることができた。
光司の暖かさや彼の存在そのものを。
しばらくしてから、光司はゆっくりと顔を離して微笑みかけた。
「どう?これでも、まだ夢に思える?」
答えは無かった。少なくとも言葉にしては。
「はふぅ」
顔を真っ赤にしたウェンディは、熱くなった息を一つ吐くと、光司の腕の中
に倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと、ウェンディ!?」
「もう、光司クン、何やってるのよ!?」
「…いいんです…」
「え?」
「こうしていると、はっきり聞こえるから…光司さんの心臓の音…」
「聞こえる?」
「はい…これ、夢じゃないですよね…」
「夢だったら、心音なんて聞こえないよ。大体、キスされたときに目がさめる
んじゃないかな?」
「そう、ですよね…そうですよね!」
「そうだよ。だから、安心してウェンディ。これは現実だよ」
「はい……」
ウェンディはゆっくりと頷いた。それと同時にようやく気づいた。他でもな
い、聞きたかったのは光司の「安心して」の一言だったのだ。この二年間、ず
っと側にいて、自分に誠実に対応してくれた光司の。
「もう少し……」
「何?」
「もう少し、こうしていていいですか?」
「ああ、いいよ」
そう答えると、光司はウェンディの背に両腕を回した。ウェンディは、それ
に逆らわず、耳を光司の胸に当て続けた。光司の心音をを通じて、彼の存在を
確かめるために……。
長いようにも短いようにも思える時間が過ぎ去った。そしてそれは、二人に
とって突然起こった。
コンコン
「あのさ、いい雰囲気のとこ邪魔して悪いんだけどさぁ」
唐突にかけられた、呆れたような声に二人は驚いて顔を戸の方に向けた。
「いい加減、会場の方に来てくんないかなぁ。もう待ちくたびれちゃったわよ」
「リ、リラ、そんなに時間経ったの?」
「開始時間はとっくの昔に過ぎてるわよ」
リラは控え室の戸を使って頬杖ついていた。その顔は「いちゃつく恋人達を
見て呆れる年長者」のものになっていた。その呆れた表情のまま、今度はカレ
ン達に文句を言った。
「ったく、三人もついていて何やってんのよ」
「いやぁ、何となく止めづらかったもので」
「それに、邪魔したら悪いと思ったもので……」
「そうそう、馬に蹴られて死にたくないものね」
順に、メイヤー、ティナ、カレンの発言である。
「あのね……」
今度は、リラはため息をついた。だが、文句を言う気は無いらしい。さほど
長くはない髪を、軽く引っかき回すと、手短に必要な事を言った。
「とにかく、早く来て。本当なら、式はとっくに始まっている時間なんだから」
「ああ、分かったよ」
「すぐに、行きます」
光司とウェンディが、照れた表情ながらもそう答えた。
「頼むわよ、ホントに……」
リラはぶつくさ言いながら会場の方に引き上げた。
「それじゃ、私もこれで。会場でお待ちしてます」
リラに続いてメイヤーが出ていった。
「さっ、最後の仕上げをしちゃいましょ。ウェンディちゃん、こっちに来て」
「あ、はい」
「じゃあ、私達は外で待ってますね」
「へ?私達って……」
「当然、光司さんと私ですよ。他に誰かいますか?」
「俺もぉ?なんで今さら……」
「男の子が細かいこと気にしないの!いいから外で待ってなさい」
「へ〜い」
外に出ると、ティナが会釈した。
「私もこれで…会場でお待ちしてます」
一人で待つこときっかり一分。今度はカレンが控え室から出てきた。
「さっ、もういいわよ。私は会場で待ってるから、あとは二人で迷わず来るのよ」
「はいはい」
光司は軽く肩をすくめてみせた。そして、カレンと入れ替わりに控え室に入
ると……。
「光司さん……」
「行こうか、ウェンディ。みんな待ってる」
「はい!」
満面に幸せ一杯の笑顔をたたえて、元気良く頷いた。
そして、光司が差し出した腕に、自分の腕をしっかりと絡めた。
……そして、二人は同じ道を歩く。死が二人を分かつその時まで……
END
後書き(INET版)
松です。「ウェディング・ベル」いかがでしたでしたか?
このSSは以前発行した同人誌「ウェディング・ベル」(完売しました)を
改行位置と誤字の修正だけを施して載せたものです。
タイトル通りの結婚話。ウェンディの「顔を赤くして上目遣いで見上げてく
るドレス姿」があまりに可愛いもので・・・。
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松
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